所報4月号
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17会員トピックス会員トピックスMEMBERS TOPICS和4年に木屋町で開業した野本畳店が、創業80周年を迎えた。創業者は野本愛次郎氏。毎日リヤカーを押して仕事に出かける姿に加え、経験豊富で腕のいい職人と地元の人々に親しまれていた。現在は、愛次郎氏の孫である雅幸氏が代表として事業を営む。雅幸氏は、味酒小学校の課外授業で「味酒野に生きる名人さん」と紹介され、子どもたちからは畳作り名人の愛称で親しまれている。このことから、地元密着型の経営は今も変わらず引き継がれていることが伺える。 事業に対しては、常にお客さんの視点にたって考え、「いかに手間をかけさせず、いい物を提供できるか」が同店の信念。畳の納品前には必ず、泥を吸い上げ、一枚一枚丁寧に拭き上げる。この畳のクリーニング作業は、お客さんのアイディアから始まったとか。その親密な仕事振りは口コミにより、新たな固定客を呼んでいる。 また、ライフスタイルが変化し、畳の需要が減る中で、PR活動にも熱心に取り組んでいる。子どもとのミニ畳づくりや、畳を使った小物作りをスタート。小物は土曜夜市に出品し、最終日には靴の中敷きを井草で作り、来て頂いたお客さんにプレゼントした。 「畳替えは手軽で安い住宅リフォーム。多くの方々に畳生活の快適さを実感して頂きたい。」と語る雅幸氏。同店は、新しい畳の活用法を提案することで、伝統を次代へ引き継いでいく。野 本 畳 店昭和4年創業創業80周年昭和4年創業80周年80周年80周年80周年昭和4年に額縁・絵画専門店として創業した高木額縁店が80周年を迎えた。創業者は高木昇二郎氏。伊予銀行に勤務するサラリーマンだった。掛軸・屏風絵などの鑑賞が趣味だったことから、銀行員と額縁絵画販売という二足のわらじを履き、店を乃婦枝夫人が運営した。定年退職後は商売に専念。業況を拡大し、現在の礎をつくった。昇二郎氏の人柄は、清廉潔白、そして頑固だったとか。「グループで来店したお客様が、予算の都合などで値引きを要求しても頑として応じませんでした。お客様に『この店の主人は絶対にまけないから別の額に替えなしゃあないな』と言わせたほどです」と語るのは現代表の昇氏。その昇氏は、昭和59年に昇二郎氏が急逝した際、東京のサラリーマンを辞め54歳で経営者になった。 今では、額縁専門店として油絵額、色紙額、デッサン額、賞状額、書道額、叙位叙勲額、褒賞額など、品揃えの豊富さを誇る。「一番大切なことは、お客様に満足して頂くこと。商品の仕入れもメーカー任せにせず、お客様が望む商品を徹底的に探す」と昇氏は語る。お客様が自身で描いた絵画や、好みの絵画やカレンダーなどを切って額に入れたいと来店され、ピッタリのものを見つけて喜んでもらうことが一番嬉しいという。これからも、お客様の記念の品を大切に守り、時代のニーズや住宅事情に合った「商品」を提供し続けていく。高木額縁店昭和4年創業創業80周年昭和4年創業80周年80周年80周年80周年事 業 所 概 要高木額縁店代表者 高 木 昇 氏所在地/松山市大街道1丁目4-6TEL&FAX/ 089-945-5455事 業 所 概 要野 本 畳 店代 表 野本 雅幸 氏所在地/松山市平和通5丁目6-13TEL/089-924-1923FAX/089-924-1948昭

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