所報8月号
19/24

17会員トピックス創業者の家族写真(昭和8年頃撮影)昭和35年頃 2代目で現会長の将男氏ンテリア資材を取り扱う森熊が大正10年の創業から90周年を迎えた。創業時は、今治市室屋町に店を構え、森商店の屋号で襖の販売を開始。はじめての商いは開業当日の夜8時に襖の引き手が売れたことだとか。創業者の森 熊太郎氏が、お客様に森熊さんと呼ばれていたため、屋号を森熊商店に改名、さらに、昭和39年の法人化時に現在の社名へ変更した。当時、壁紙の取り扱いが始まったことにより、業容を拡大。松山へ進出した。 現在は、カーペット、カーテン、ブラインドも取り扱い、四国4県に支社を持つ、四国内シェア№1企業に成長している。4代目となる大塚 敏彦社長は、先代から「会社の名前は変えないでくれ」という言葉を引き継いだが、異業種から来た経験を活かし、時代にあわせた戦略に取り組んだ。当時は襖と壁紙だけだった取扱商品に疑問を持ち、他社に先駆けてインテリア資材の総合商社を目指した。おかしいと思ったことを変革したことが時代の要請にピタリとはまった。 「40年経った今では、すっかり守旧派の代表。今後は、インテリアと関係のない業界から来た後継者の息子の視点で再構築することが、100年企業への道」と語る敏彦氏。多くの新規学卒者を採用し、新しい人材の育成にも取り組む。新しい時代に挑戦し続けてきた森熊が100年に向けてさらなる進化を模索している。㈱森 熊大正10年創業創業90周年会員トピックスMEMBERS TOPICSイ末町で看板を主に取り扱う耕一路広告社が創業から80周年を迎えた。創業者の山本 信(しん)氏は小さいころから絵を嗜み、高畑華宵や夢二の挿絵を模倣して友人に配っていたとか。千舟町にある看板屋へ修行に出たが、都会に出たいという気持ちが強く、家出同然で大阪へ。トラックのボディ、料理屋の店頭置き看板や祭りのボンボリの文字書きなどの経験を積んだ。この修行が80年の礎になっている。 大阪から帰松し、山本看板店の屋号で事業を開始。当初は表札の文字入れぐらいしか仕事がなかったそうだ。昭和6年に花園町へ移転。屋号を「耕一路看板店」に変更した。「耕一路」は、創業者の趣味である詩人としての雅号。日本現代詩人会に所属し、詩誌「野獣」を主宰していた。野球拳をつくった前田伍健とも親交があったそうだ。戦後は伊予鉄道の駅構内の広告を中心に事業を拡大、桜三里や今治方面まで看板を運んだ。当時は、自転車の横へパイプで1輪つないだ特殊な「サイドカー」が運搬具だったとか。 現在は3代目となる篤氏が経営を担う。看板制作をはじめ、昨年は松山市主催で行われた神輿の総練りイベントの設営などにも携わった。「市内には同業者が100社近くあり、競争は厳しい。それでも『耕一路』の名前を残し、歴史を礎に暖簾を守りたい。」と篤氏は語る。お客様が看板を見て喜んでいただくことを糧に、次の10年へ事業をつないでいく。㈲耕一路広告社昭和5年創業創業80周年事 業 所 概 要㈲耕一路広告社代表者 山 本 篤 氏所在地/松山市松末2-15-6TEL/089-976-3585事 業 所 概 要㈱森 熊代表者 大塚 敏彦 氏所在地/松山市中央2丁目42-1TEL/089-922-2211FAX/089-925-9511松

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です