所報9月号
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17会員トピックスの専門店、オオハラが創業から80周年を迎えた。初代の大原信夫氏が日の出町で開業。昭和29年には「店を早く閉めるのは恥」と言われるほど商売が盛んであった新立町に移転した。お店も繁盛し、忙しい時には200メートルの行列ができたとか。朝5時から夜の11時まで働いていたそうだ。 昭和60年に現在の鷹子町に移転、その4年後、3代目となる、現代表の理延氏が社長に就任した。当時は、スーパーなど大型店が各地で精肉販売を開始した時期。地域の専門店は駐車場などの利便性で後れを取り、客足が減るという厳しい時代を迎えた。理延氏は、店売り中心から卸売へ営業をシフトし、病院や学校などへ販路を拡大した。卸売で求められる衛生管理を強化し、専門店では県内初となる「ISO9001」を取得し、差別化を図った。地産地消にも力を入れ、近年、肉の安全性が問題なった時も、その影響を回避するなど、顧客に信頼される経営に取り組んできた。 現在、100年企業への飛躍を目指し、理延氏の夢であった店内改装を行っている。また、店頭では、お客さんに合わせ、美味しいお肉の食べ方や選び方を提案する販売を心がけ、満足度向上にも努める。「おもてなしの心を忘れずに、お客様1人1人としっかり向き合う事が、長続きの秘訣」と語る理延氏。お客様に信頼され続けるオオハラの100周年への歩みは、既にはじまっている。㈱オオハラ昭和5年創業創業80周年会員トピックスMEMBERS TOPICS肉墓参りや迎え火・送り火を焚いてご先祖様を供養する日本のお盆。そういった日本の心を表す風習に欠かせないお店、川上神仏具店が創業80年を迎えた。神輿を新調、修理する職人・工場が多いため、神輿町と呼ばれていた北夷子町で、神輿職人であった初代、川上数行氏が事業を開始。10人程の職人を抱え、事業を展開した。 戦後、北夷子町から室町へ移転し、昭和47年には、現在の場所に販売店舗を開店する。同時に現代表で2代目となる川上嶺氏が社長に就任した。嶺氏は、大学卒業後、東京で就職したが、事業承継のため帰松。職人と寝泊りを共にしながら仕事を覚えた。幼い頃から、神輿、神仏具を見て育ってきたため、技術の習得はスムーズだったとか。 昨今は、中国製の既製品を取り扱う店舗も増え、神仏具の専門店は松山で数えるほどとなった。技術の伝承が難しくなる中で、同店では、県指定の無形民俗文化財、大洲肱川の山鳥坂鎮縄神楽の制作に携わっている。神楽の制作・修繕を手掛ける職人は、全国的にも数少なく、初めての製作には、5ヶ月をかけたそうだ。同店は自社の経営だけではなく、伝統技術の継承という責務も担っている。 嶺氏の趣味はマラソン。毎朝のランニングは欠かすことなく、愛媛マラソンは4時間台で完走するほど。マラソンと同じように、長く走り続けた企業経営のバトンは、3代目へと受け渡されていくそうだ。㈱川上神仏具店昭和5年創業創業80周年事 業 所 概 要㈱川上神仏具店代表取締役 川 上 嶺 氏所在地/松山市室町71TEL/089-933-0807事 業 所 概 要㈱オオハラ代表取締役 大原 理延 氏所在地/松山市鷹子町372-7TEL/089-976-5677お獅子頭獅子頭
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