所報1月号
30/32

28コラム『坂の上の雲』のまち松山『坂の上の雲』のまち松山№16№16 平成24年、第1回目となる解説板は、第五十二国立銀行跡です。前回の解説板、大原観山住居跡から東に数十メートルの場所にあります。現在は第五十二国立銀行を前身とする伊予銀行の松山保養所となっており、その本店が所在したことを示す石碑があります。 大原家は距離だけではなく、同銀行に深く関わっています。大原観山には四男三女があり、長男は早逝、長女は子規の母です。次男は、正岡家の後見人であった大原恒徳で、同銀行の設立にも関与し、支配人を務めました。 また、二女の十重が嫁いだ藤野漸は、同銀行の頭取に就任しています。さらに、三女の三重は同銀行員であった岸重崔に嫁ぎました。その子は、大蔵省銀行局の各課長を歴任し、日本興業銀行の総裁になった岸喜二雄です。このように、大原家は新時代の理財家を多く輩出しており、子規の人格形成やその後の生活にも大きな影響を与えています。 一方、同銀行の初代頭取は、当会議所の初代会頭である小林信近翁です。当会議所の前身となる松山商法会議所は明治15年に設立され、今年は130周年という節目を迎えます。明治期に日本の「経済」を近代国家へと発展させた経済人の『坂の上の雲』のストーリーが、この地から始まっているのかもしれません。COLUMNコ ラ ム

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です