所報5月号
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まだ雪が残る福島県の猪苗代湖にて佐伯氏副会頭佐伯 要(伊予鉄道株式会社 代表取締役社長)福島を舞台にした平成25年の大河ドラマ「八重の桜」災害の記憶を今なおはっきりと残す、漁船の残骸藩士の子弟のグループ「什」への訓示が「什の掟」The winds of Matsuyama松山の私が考えるこれから八重の桜は被災地はいま 東日本大震災から「1日も早い復旧を そして復興を」と言われて、1年余りが経ちました。その復旧状況はニュースの中で伝わってきますが、自分の目で確かめて何が必要なのか、また来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の当地会津での盛上りや観光振興への取組みなどに関心を持ちつつ休日を利用し訪ねてみました。 被災地付近へは常盤自動車道を北上し、広野町(福島第二原発から約10km)で交通規制があり海岸線を折り返しました。復旧はごくごく一部と感じました。打ち上げられた無数の漁船が未だに放置され、家屋はコンクリート基礎のみが寂しく、くっきりと残り、防波堤は無数の傷跡・断裂状態、片付けられた瓦礫は処理ができないまま放置されており、見ているだけで胸が痛みます。一方、道の駅の仮設店舗で年配の方に声を掛けると「これ買って!!」思わず買ってしまったほど元気な声が返ってきました。とにかく明るく元気。住む家や仕事も失い、身内を亡くされた被災地の方々は失意のどん底にありながらも、高い道徳心と絆が世界中で称賛された事は私たち日本人の誇りであります。一刻も早い復旧・復興のためには、この第2回「被災地の現状と大河ドラマ『八重の桜』」精神のもと「心を一にする事が大切だ」と痛感させられました。  明治維新、日本が封建社会から近代国家への道を歩む中、それは会津にとって悲劇の歴史でした。新政府から逆賊として扱われながらも真正面から忠義を貫く強い意志をもって戦い、大河ドラマ「八重の桜」の主人公の山本八重(後の新島八重)は、断髪・男装で家芸であった砲術をもって会津若松城(鶴ヶ城)籠城戦で奮戦しました。後に彼女は、新しく、独自で奔放な生き方を通しました。この強い忠誠心と勇気はどこから生まれたのでしょうか。これは江戸時代、会津藩士の子供は10歳になると会津藩校「日新館」に入学します。それに加え6歳頃から子弟教育「什の掟」で『ならぬことはならぬものです』と約束に絶対そむかないことを繰り返し教え込まれます。このような武士道精神の教育が大きく影響しているようです。 街は「八重の桜」で一色かと思ってましたが、若干のノボリは見られるもののドラマ館、その他については準備中とのこと。これから『八重たん』(マスコットキャラクター)で売り出すようです。福島、さらには東北の観光振興と復旧・復興につながるよう願っています。・・・・・・・・・・・・・コラムコラム6

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