所報9月号
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Former■旧北予中学校○編集後記 「市内には『坂の上の雲』ゆかりの史跡の解説板が点在している。会報で紹介したらどうか。」麻生前会頭の言葉から、本コラムがスタートしました。足かけ2年、24ヶ所を巡り、今号が最終回となりました。 設置場所は、何も遺されていない所もありますが、様々な資料からストーリーを調べると、不思議にその場所が特別なスペースに感じられました。松山市のフィールドミュージアム構想の理念に触れることができました。 また、コラムでは「教育」が大きなテーマとなりました。解説板の多くが、先人の教育にかける情熱、それを享受した偉人が、後年、郷土の教育に貢献するという循環を標していました。奇しくも、本担当は今号、前号で紹介した学校の卒業生です。在学中は、その志を学ぶ機会や気概が少なかったことを後悔しています。 最後に、本コラムへご協力をいただいた、松山市「坂の上の雲まちづくりチーム」に厚くお礼申しあげます。【コラム編集担当】 総合企画部 総合企画課 中矢 斉 今月の解説板は、旧北予中学校です。その流れを汲む、松山北高等学校の正門前に設置されています。同校は、明治26年に開設された北予英学校が前身です。経営に苦しんだため、井上要(当所第5代会頭)らが北予中学会を設立、経営権を譲り受けます。同会は加藤拓川や新田長次郎、秋山好古も名を連ねました。松山市長を務めた白川福儀を校長として、同校の礎を築きます。 秋山校長就任は、先月号で紹介した松山高等商業学校(現松山大学)の設立に関連します。北予中学校の後援者を中心に、松山を教育都市にとの想いから、同校横に松山高等商業学校が設立されます。松山高商の初代校長に就任し教育都市「松山」の礎 【最終回】た加藤彰廉は、北予中学校の校長を務めており、兼務を固辞したため、井上要が秋山好古に就任を要請し、実現しました。 松山北高校には、秋山好古、井上要の胸像、白川福儀の碑が残されています。先人の教えは、文・武・心という校訓に引き継がれているようです。住所電話松山市文京町4-1089-925-2161(愛媛県立松山北高校)内部は一般公開されていないため、観覧は事前にご連絡を。コラムコラム23

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