所報4月号
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会頭白石省三(三浦工業株式会社 取締役会長)副会頭佐伯 要(伊予鉄道株式会社 代表取締役社長)The winds of Matsuyama私が考えるこれから第1回「予測できた危機をなぜ防げなかったのか?」第12回 「語り継いで残していきたい『土木遺産』の一つ」橋から広がる多くの思い120歳をむかえる石手川橋梁情操教育であり、歴史・文化・芸術等の学習になり、そして記憶にも残って楽しい旅が出来るように思います。 松山の中心にある横河原線の石手川に架かる橋の付近は、ある時は花畑となり、ジョギング、朝夕の散歩を楽しむ多くの人を見かけますが、この橋に目を向ける人はほとんどいません。しかし、この橋梁は土木遺産のジャンルから見ると誠に珍しい古い橋梁であり、大事に扱っていかなければならない建造物の一つです。この橋のある伊予鉄道の横河原線・石手川公園駅は橋自体が駅であり、橋上駅として全国的に大変珍しく、また、この石手川橋梁は明治26年(1893年)松山市から平井まで線路延伸当時からの姿で120年前のままです。資料によると橋はイギリス製、型式はポニープラット・トラス橋であり、日本の鉄道橋としては現役 手前味噌ではありますが、今回沢山種類のある「土木遺産」の中から鉄道橋について書かせて戴きます。たとえば観光地を訪れ、お城をガイドさんが案内する時、この城はいつ、誰が、何のために築城し、その特徴などの説明があります。しかし橋梁についての説明があるのは、四国連絡橋など一部の橋梁のみであり、話題となるものはごく少ないですが、橋梁への思いは大きな想像をいだかせます。 この橋は町と町をつなぎ元気にする橋かな、なぜ吊橋になっているのか、何の目的の橋か、いつの時代の橋かなと色々と想像しつつ、その場に立って橋を眺めると必要性も見えてくるものです。これらの話を子供達と会話する事が自然な最古の橋であります。敷設当時、軌間762mmの軽便鉄道として坊っちゃん列車が運行された後に今の軌間1067mmの普通鉄道サイズに変更され、昭和29年にディーゼル化、昭和43年に電化、続いて昭和47年から橋上に現在の駅が設置され、その度に補強が加えられているとはいえ、この橋が一世紀を経てなお、現役をまっとうしている事実は推奨に値します。 この度、土木学会より「選奨土木遺産」の指定を戴きました。この指定を「社会的資産」としてまちづくりに生かして、今後もこの橋を大事に守っていきたいと思っております。橋 梁 名 : 石手川橋梁位 置 : 横河原線 松山市~伊予立花間 高浜起点10km284m形 式 : ポニー型下路プラットトラス支 間 : 31.55m桁 高 : 3.51m主構中心間 : 5.18mコラム6

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