所報6月号
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表紙絵を訪ねて~松山の八十八ヶ所霊場めぐり~第5回「四国遍路開祖といわれる 文殊院(恵原町)」 先月号の表紙絵の地を訪ね、その歴史を伝える当コラム。5回目は「文殊院」です。弘法大師が文殊菩薩に導かれて逗留したという文殊院は、四国遍路開祖といわれる衛門三郎を由来とし、四国別格二十霊場第九番として、多くのお遍路さんが訪れています。 言い伝えを紐解くと、その昔、荏原と呼ばれたこの地の庄屋であった衛門三郎は、托鉢に訪れた旅の僧を弘法大師と知らず、手にしていた鉄鉢を、竹ぼうきで叩き落としてしまいます。鉄鉢は8つに割れ、翌日から【「所報」5月号表紙】おもてなしの心で歴史と文化を次代へつなぐ 四国八十八ヶ所のうち、松山には八つの霊場が存在します。ここでは、表紙を彩る香川進先生の絵の舞台となっている、松山の八十八ヶ所霊場と遍路道という風景に秘められた物語をご紹介しています。8日の間に衛門三郎の8人の子供は次々と亡くなってしまいました。衛門三郎は、その行いを悔い、弘法大師に許しを乞うため、その後を追います。四国内を21回ほど巡拝し、死の間際に弘法大師と出会います。そして、罪を許され、伊予城主の嫡男として生まれ変わったそうです。この巡拝が、四国遍路のルーツとなっています。文殊院には衛門三郎の物語が記された寛政時代の巻物が保存されています。 また、寺院だけではなく、近くには「文殊院八塚群衆古墳」と呼ばれる、松山市の文化財に指定されている史跡があります。亡くなった衛門三郎の子供達を祀ったと伝えられており、今も神秘的な佇まいを残しています。 取材した週末、恵原町では、四国遍路に関する市民向けのイベントが開催されていました。写真を撮影させていただいた、八塚の側にある幼稚園でも地域の方々が、ボランティアで子供向けの行事を実施されていました。当地に伝わる「おもてなしの心」により、歴史と文化が次代へ引き継がれているように見えました。▲文殊院にある衛門三郎像と言い伝えを記す絵画。▲今も残される八塚(くたに幼稚園屋上より)コラム22
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