所報11月号
24/28
表紙絵を訪ねて表紙絵を訪ねて~松山の八十八ヶ所霊場めぐり~ 四国八十八ヶ所のうち、松山には八つの霊場が存在します。ここでは、表紙を彩る香川進先生の絵の舞台となっている、松山の八十八ヶ所霊場と遍路道という風景に秘められた物語をご紹介しています。第11回 「太山寺 第52番札所 太山寺」【「所報」10月号表紙】1500年、瀬戸内海を見守りその歴史を現代に伝える札所 石手寺から、道後という観光地を通り、一路、瀬戸内海を目指します。市街地を抜け、田園風景が広がる中、その登り口に立派な門を構えた厳かな丘陵が現れます。今回のコラムでご紹介する四国霊場第52番札所の太山寺です。 太山寺には、「一夜建立の御堂」という言い伝えが残されています。586年、豊後の国(大分県大野市)の真野長者が商いのため、瀬戸内海を船団を組み、航海していました。伊予の国、松山の高浜に差し掛かった頃、大嵐となり船は転覆しそうになりました。真野長者はお観音さまに無事を祈ったところ、山の頂きより一筋の光明が輝き、闇夜の海を照らしました。そのお陰で、真野長者は無事に船を高浜の岸に寄せることができました。 岸に上った後、その山の頂に登って見ると、そこには一寸八分の十一面のお観音さまが祀られていました。真野長者は大分に引き返し、多くの工匠を集め、すべての木組みを整えて船に積み、一日で高浜の港に到着。そして、夜を徹して組み上げ、朝日を受ける頃にはお堂を建立しました。これが「一夜建立の御堂」という伝説です。現在の本堂は、鎌倉時代に建立されたもので、愛媛県最大の御堂として国宝に指定されています。真野長者は、炭焼き小五郎伝説として九州に言い伝えが残る人物で、有名な臼杵の石仏も真野長者に由来があるといわれています。 その後、太山寺は聖武天皇をはじめ、代々の天皇がお観音さまを奉納されました。今も重要文化財に指定された十一面観音像が本堂内に安置されています。開基後、およそ300年、弘法大師が留賜され、札所となりました。そういった古い歴史を物語るように、本堂だけではなく、仁王門や山門、地獄絵が描かれた鐘楼堂など、歴史のある建物が数多くあり、また、境内に残された遍路宿も、お遍路文化を現代に伝えています。 光明が輝いた山頂は、奥の院として、瀬戸内海を一望できる場所に十一面観王像が祀られています。今も、1400年前とかわらず、行き交う船の安全を見守っています。 コラム22
元のページ