所報8月号
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坂本 光司/さかもと・こうじ1947年生まれ。福井県立大学教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2008年4月より法政大学大学院政策創造研究科(地域づくり大学院)教授、同静岡サテライトキャンパス長および同イノベーション・マネジメント研究科兼担教授。他に、国や県、市町、商工会議所などの審議会・委員会の委員を多数兼務している。専門は中小企業経営論・地域経済論・産業論。著書に『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)、『この会社はなぜ快進撃が続くのか』(かんき出版)など。法政大学大学院政策創造研究科 教授 坂本光司快進撃企業に学べ「豆子郎(とうしろう)」と名付け、社名も「株式会社豆子郎」に変更した。 それまでのういろうは、「べとべとして手が汚れてしまう……」とか、「大きくて食べにくい……」といった評価が少なからずあったが、豆子郎はこの全てを解決した「新しいういろう」といっても過言ではない。株式会社豆子郎は、これまで幾多の困難を乗り越え、現在では社員数が110人になるまで成長し、豆子郎は山口県を代表する銘菓の1つとして、ちまたの評価はすこぶる高い。 同社が今日まで、とりわけ昭和61年以降に成長発展できた要因は多々あるが、強調すべきは次の3点である。 第1点は、原材料への徹底したこだわりである。ういろうの主たる原材料は、小豆や砂糖、さらにはわらび粉・大納言小豆などであるが、これらは日本を代表する産地の一流業者への特注であり、しかも最も高価格・高品質なものを調達しているという。 第2点は、ES(従業員満足)とCS(顧客満足)を両立した大家族的経営の実践である。創業者の田原氏は、自身の戦争体験もあり、経営の原点は家族・ぬくもり・絆とし、「喜びも悲しみも苦しみもともに分かち合う」大家族的経営を実践してきた。同社には、実質定年もなく10代から80代まで、健常者も障がい者も、まるで1つの家族のように寄り添い仕事に取り組んでおり、彼らは地元で「豆子郎ファミリー」と呼ばれて 山口市に「株式会社豆子郎(とうしろう)」という社名の菓子店がある。主製品は「豆子郎」という商品名の外郎(ういろう)などの和菓子である。1948年(昭和23年)に現社長の義理の父である田原美介さんが奥さんと2人でスタートしている。 創業者の田原さんは、満州鉄道に勤務するエンジニアであった。戦争が終わり、帰国した後に子どものころから大好きだったういろうを販売していた老舗のお店が廃業すると聞き、「それなら自分が」とチャレンジしたのである。 もともと菓子職人ではない田原さんにとってお菓子づくり、とりわけ他店とは異なる「ういろう」を開発することは容易ではなかった。創業およそ1年間は「ぬかパン」の小売りで家族の生計を立てつつ、この世にない新しいういろうの開発に没頭。苦労に苦労を重ねた結果、これまでとは全く異なるういろうの開発に成功している。田原さんは、このういろうをドシロウトが開発した豆入りのういろうということでいる。 第3点は、経営理念と経営戦略が社内外の関係者の支持を得たからだ。同社の経営理念は「お客さまの喜びと幸せに貢献する」、経営戦略は「利益よりも継続」である。 先日山口市に行き、同社の本店を訪れた際にすてきな日本庭園の中にある喫茶室で食した「豆子郎」は絶品であった。原材料にこだわる『豆子郎』vol.25コラムコラム16

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