所報9月号
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坂本 光司/さかもと・こうじ1947年生まれ。福井県立大学教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2008年4月より法政大学大学院政策創造研究科(地域づくり大学院)教授、同静岡サテライトキャンパス長および同イノベーション・マネジメント研究科兼担教授。他に、国や県、市町、商工会議所などの審議会・委員会の委員を多数兼務している。専門は中小企業経営論・地域経済論・産業論。著書に『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)、『この会社はなぜ快進撃が続くのか』(かんき出版)など。法政大学大学院政策創造研究科 教授 坂本光司快進撃企業に学べより小ざさがようかんを大量につくれば、こんなにも朝早くから行列をつくることはないのであるが、1日の生産本数はわずか150本ほど、別につくり惜しみをしているわけではなく、この本数が手作業の限界なのである。また、1人が1日に買える本数は3本までなので、買えるのは1日50人程度に限られる。余談であるが、このルールは列をなしているお客さまが相談して決めたのだという。 お客さまの中には、わざわざ北海道や沖縄から来て行列に並ぶ人もいる。笑い話だが、いつぞや、社長である稲垣篤子氏のご主人が「明日遠くから親友が来るのでようかんを何本か用意してくれないか」と頼んだ。そのときも篤子さんは「では明日、列に並ぶために早く起きてください」と返事をしたという。もちろん、こんなにも長期にわたり、早朝から列をなすほど支持されているのは、希少さだけでなく、ようかん自体がおいしいからだろう。 小ざさは1951(昭和26)年、現社長の稲垣さんの父が創業。現在地に移ったのは54年である。創業者である稲垣さんのお父さんは、戦前にはさまざまな職業を経験。戦後は都内の老舗和菓子屋さんで修業をし、その後開店している。研究熱心な経営者で、時間を惜しみ全国の銘菓と呼ばれるお菓子屋さんのお菓子を食べ歩いたという。創業当初は、いろいろな和菓子をつくっていたが、その後、本物志向を徹底し、他店との差別化を図るため、「ようかん」と「もなか」に特化している。 研究に研究を重ね生み出したようかんを売り出すと、その味が口コミで徐々に広まっていき、69年ころには、今ほどではないが、少しずつ行列ができ始めた。 中央線の吉祥寺駅北口駅前のダイヤ街商店街に「小(お)ざさ」という店名の小さな和菓子屋さんがある。売場面積はわずか1坪なので行列が少し途切れているときなど、注意して歩かないと通り過ぎてしまう。 品ぞろえは「ようかん」と「もなか」のたった2品だけ。しかもお店は、ここにしかない。それにもかかわらず、売上高は何と3億円強である。お菓子の製造小売業の坪当たり販売額は、全国平均が年間230万円前後なので、坪生産性が桁違いということがよく分かる。 お客さまのお目当ては1本580円のようかんだ。これを買うために行列ができるのである。開店時間は午前10時であるが、朝4時ころには行列ができる。それどころか、盆や暮れのころになると、何と深夜の1時ころから行列ができ始める。人気TV番組などで取り上げられると、一時的にはこうした光景をよく見かけるが、その大半はその時だけで終わる。しかし、小ざさの場合は、こうした状況がすでに40年以上も毎日続いている。 なぜこんなにも早くからお客さまが並ぶのかというと、ようかんを買うためには、まず朝8時30分に店員さんから配られる番号札が必要だからだ。もとそれが年を追うごとに増えていったのである。その秘密を稲垣さんは「小豆を1窯に3升使って大体50本のようかんがつくれます。それを毎日3窯分つくるので1日150本くらいできます。父からは小豆を3升以上炊くと、この味はできないと言われていました。自分でもいろいろな研究をして3升がいちばんいいという結論になりました」と教えてくれた。行列の絶えない『小ざさ』vol.26コラムコラム16

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