所報6月号
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人の想いと手入れにより数百年生き続ける柿 表紙絵にまつわる伝説を、地域のレジェンドとともに巡る本コラム。今回は、松山市本谷の雲門寺にある「南柿」です。 松山市本谷(旧北条市)にある雲門寺。河野通清が建立したと伝えられていますが、1360年頃の火災で焼失したようです。その後、南通武が寺を再建し、南氏の菩提寺となりました。南氏は河野氏の有力な一門でした。河野氏が本拠とした湯築城の守りとして築かれた横山城が、雲門寺から4キロほど離れた山の頂にあり、南氏の居城となっていました。松山の安城寺や姫原などに、寺領があった記録もあり、寺が盛んであったことが分かります。 1585年、南通具が城主の時に、小早川隆景の軍勢に攻め入れられ、城を放棄し敗走することになります。通具は、雲門寺に立ち寄り、寺の興隆を祈念し、好物の柿の木を植えました。この木が、「南柿」と呼ばれています。現在、南柿は樹齢400年以上で、高さ約26m、根回り約4mの巨木となっており、県の天然記念物にも指定されています。 同寺住職の中島義彰(ぎしょう)さんは、「昔、火災で半分ほどの枝葉が衰え、立ち枯れの危機もあったが、再び樹勢を取り戻したとの記録が残されている。年によっては二千個以上の実がつき、採れた実は、菓子類が少なかった時代に重宝されていた」と語ります。老木の管理は手間がかかるものの、県が剪定などをするほか、住職やその家族が、掃き掃除や除草といった日々の手入れを丁寧に続けています。 南柿は、再興を誓った南氏の想いを汲み、また、手入れをする人にも恵まれ、現在も立派な樹形を保っています。人の一生や、家の興隆は儚いものの、樹木に託された想いは数百年の間、木とともに生き続けるようです。雲門寺で、自然とともに、中世の歴史を感じてみてはいかがでしょうか。第6回23コラム「松山市本谷(旧北条市)・雲門寺の『南柿』」

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