所報10月号
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 表紙絵にまつわる伝説を、地域のレジェンドとともに巡る本コラム。今回は、浄瑠璃町の生目神社です。 四国八十八箇所第47番札所の八坂寺と、第46番札所の浄瑠璃寺の中間にある小高い生目山の頂に、生目神社があります。社伝によると、1106年に、今の久谷地区を治めていた小倉小太夫が天照大神の弟、須佐之男命とその妻である寿稲田姫命を主祭神として迎え、素鵞神社として建立されました。現在の宮司の権名津氏によると、素鵞神社とは須佐之男命を祀る神社のことで、神社庁へは素鵞神社という名で登録されているとのことです。 生目神社が眼病の治癒にご利益があるとされているのは、平景清の伝説がルーツになっています。鎌倉時代、平家の平景清は屋島の戦いに敗れた後、現在の宮崎県に身を寄せます。景清は、源氏の繁栄を見たくないため、自らの手で両目を失明させました。しかし、観音のご加護により、景清の両目が再び開眼したそうです。この景清を眼病治癒祈願の神として祀っているのが、宮崎市にある生目神社です。この伝説を聞いた当時の久谷地区の庄屋が、宮崎の生目神社から景清の短刀を迎え入れ、御神体として祀りました。 この逸話から、眼にご利益のある神社として知られるようになりました。自分の年齢の数だけ「目」を書き、祈祷をすると眼の病気が治ると伝えられており、本殿の壁には絵や漢字やひらがななど、様々な形式で「目」と書かれた紙が納められています。 古より、様々な思いを持つお遍路さんが行き交う久谷地区。その遍路道の途中にある生目神社は、お遍路さんをはじめ、眼の悩みとともに、多くの人の願いを受け入れてきました。神社からは、歴史ある久谷地区を一望することができます。スマホなどで疲れた眼を癒しに、神社を訪れてみてはいかがでしょうか。遍路道沿いの神社が眼に悩む人の明かりに第10回19コラム「松山市浄瑠璃町『生目神社』」

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