昭和26年、高知銀行が松山へ進出。大街道から千舟町への移転、松山北支店との統合を経て、現在の南堀端町へ店舗を構えた。開設当時は、高知から進出した企業との取引が多かったが、顧客からの紹介やサブバンクとしての活用などもあり、現在では地元松山の人からも多く利用されている。それぞれの地域には、メインバンクとなる銀行があるため、他地域で根付くというのは難しい。高知銀行は経営理念に基づいた「地域に密着した活動」を重視した経営とfacefaceを強みとして、お客様の現状や課題に寄り添ったコンサルティング機能を発揮するといったことや、公園の清掃活動や地区活動への参加などを通して、松山に浸透した。 現在は「地域の価値向上に貢献する金融インフラ」を目指し、社会環境が目まぐるしく変化する中で、サステナブルバンクとして地域経済の回復に努めている。現支店長の森田氏は、お客様にご融資するだけでなく、人材紹介など、多方面からサポートを行い、お客様の声を聞き逃さず、共に歩んでいくことを大切にしている。 お客様・地域に寄り添った経営で松山に根付いた高知銀行。同社はこれからもシンボルマークのビビッドKに込められた熱意、調和、誠実をもとに、多方面から地域・産業の活性化のサポートをしていく。to くつな鉄工所の創業者、忽那正利氏は、昭和40年頃までみかんを運ぶ索道機を製造していた。その後、息子の潔氏が従事し、一般・建築金物の製造へと転換していった。潔氏に代表が代わり、下請け業としてボイラー部品の製造を請け負っていたが、町の工場として、多様な注文を受けることとした。潔氏は、「人るが、こうして培ってきた技術への信頼により、現在は、階段の手すりや駐車場で使われる金物部品など、幅広い金物製品を受注している。お客様に喜んでもらうモノづくりと、どんな仕事であってもニーズに応えていくという思いのもとで、モノづくりに励んでいる。 現場で製造を行うのは潔氏と従業員1名。少人数ながらこれまで蓄積してきたノウハウにより、製品を提供している。現在、新社屋を建設中。近年、工場の周りには住宅が増え、従の2倍は働いてきた」と語来のトタン素材の壁では作業音が外に漏れ、近隣住民の方に迷惑をかけることもあったため、壁に防音加工を施し、作業音の漏れをこれまでの半分まで減らしている。 必要とされるモノや、製造業を取り巻く環境が変化する中で、下請けにとどまらず、様々なモノづくりにチャレンジしてきた。これからも町の工場として、技術力を磨きながら、お客様のニーズに寄り添い続ける。熱意・調和・誠実をもとに地域に根差す蓄積した技術と信頼でニーズに応える17お客様のおかげで70年もの歴史を重ねることができました。これからも真摯に皆様のサポートに努めていきます。令和という時代の中で、面白い鉄工場を目指してお客様から喜ばれるモノづくりを続けていきます。会員トピックス昭和26年大街道開設時の店舗昭和26年開設メッセージ昭和26年創業メッセージ事業所概要代表者:所在地:TEL:森田 宗利松山市南堀端町5-5089-921-5101事業所概要代表者:所在地:TEL:忽那 潔松山市愛光町2-24089-923-9501開設70周年創業70周年(株)高知銀行松山支店くつな鉄工所
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