所報4月号
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 今月号の表紙絵コラムは、奥道後温泉、壱湯の守。松山市の中心部から車で15分ほどの場所で、石手川の上流に位置し、豊かな自然に囲まれた温泉である。 奥道後は、湯山と呼ばれる地区の呼称で、その名の通り、昔から温泉が湧出していた。特に浴場は整備されていなかったが、昭和39年、東京オリンピックの年に、来島どっくグループのオーナーである坪内寿夫氏が、温泉を開発した。温泉だけではなく、一帯を整備しており、当時の市民には、ジャングル風呂が親しまれていた。現在は、リニューアルし、壱湯の守として営業している。 温泉の泉質は、アルカリ性単純硫黄泉。毎分400リットルという豊富な湧出量を誇り、かけ流しで使えることが自慢の一つ。泉質から、美人の湯、若返りの湯、癒しの湯を掲げている。また、西日本最大級の露天風呂があり、営業は15時から20時、入浴料は1千円。宿泊施設もあり、2食付きで1万4千円〜。80種類のビュッフェが楽しめる。温泉の周りは、手入れをされた桜や紅葉が季節をつげるほか、石手川の渓流のせせらぎが迫る。まさしく、花と緑の温泉リゾートである。 この石手川は、松山市民の水源となっているが、その昔、湯山川と呼ばれており、加藤嘉明の松山城下町建設の際に、足立重信により大改修が行われ、流路が変更になり、今の松山のまちづくりに大きな影響を及ぼした。また、湯山は四国の水力発電発祥の地でもある。一九〇三年、当会議所の初代会頭、伊予鉄道株式会社の小林信近翁は、この地に発電所を完成させ、松山市に電力を供給した。今も四国電力の湯山発電所が奥道後温泉の近くで発電を行っている。 松山のまちづくりや経済発展の歴史を背景に持つ湯山。奥道後温泉、壱湯の守で湯に浸かり、過去の偉人や事業家の想いに触れ、自社の事業やまちづくりを考えてみるのも一興である。19コラム第4回「奥道後温泉 壱湯の守」「奥道後温泉 壱湯の守」松山の経済を背景とする「湯山」の地にある温泉

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