所報6月号
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 松山の銘菓「坊っちゃん団子」の元祖であるつぼや菓子舗。坊っちゃん団子は明治16年、相原吉五郎氏が創業した茶屋又という土産物屋にて販売されていた、湯晒団子が改良されたもの。夏目漱石の著書である『坊っちゃん』にて主人公が2皿平らげたと描かれているのがこの団子だ。大正10年、2代目の宇太郎氏が坊っちゃん団子と名付け、小豆餡、抹茶餡、黄身餡の三種を串にさして販売。これが人気となり、坊っちゃん団子は湯上りのお供として愛された。 その後、3代目の道太郎氏がつぼやを開店したが、宇太郎氏が連帯保証人としての債務を負い、全ての店を閉めることとなった。閉店後、お客様からの坊っちゃん団子復活を望む声を受け、道太郎氏は栄町にて、坊っちゃん団子の販売を再開。その後、堅実に経営を続け、現在の場所へ店を構えた。 経営を担うのは、5代目の英二氏と妻の美香氏。あんこにこだわり、原材料の豆は北海道産を100%使用している。また、自身の子どもが卵アレルギーだったこともあり、黄身餡を白餡へ変更するなど、誰もが安心して食べられる商品へと改良した。また、コロナ禍でスタートしたオンラインショップは、県内外問わず多くの顧客が利用している。 長く愛され続けてきた味を絶やさず、これからも、坊っちゃん団子の元祖として、歴史を守り、次代へと団子を伝えていく。 「松山あげ」は、化学添加物、遺伝子組み換えの大豆を一切使用していない松山の特産品。この松山あげを一世紀以上前から作り続けているのが程野兵次郎氏創業の程野商店だ。兵次郎氏の妻サト氏の実家である川田商店が、干油揚げ(松山あげ)の製造を行っており、夫婦は川田の揚げを学んだ後、萱町に製造卸の店を開業した。干油揚げの製造は難しく、特製の豆腐を3㎜もの薄さに切断し、水分をしっかりと抜いた後、じっくりと油で揚げていく。この薄く切る作業は熟練の職人でも難しいため、職人不足に悩んだこともあったそう。 現在、経営を担う、5代目の裕貴氏は、平成2年に特注の機械を導入し、職人不足を解消した。一方で、大豆の浸漬の水温管理や、油の温度管理などは季節によって微調整が必要なため、機械化の難しい部分があり、職人の手は、今でも必要だという。 松山あげは、国内に加えて海外へも販路を拡大している。松山あげのことをさらに多くの人に知ってもらおうとSNSなどを活用してPR活動にも力を入れている。今年2月にはラジオ番組で話題となったのをきっかけに、山口駅前にて松山あげフェスを開催し好評を博した。 機械と人力を上手く組み合わせ、変わらぬ味を守ってきた同社。今後も、SNSのつながりも活かし、松山あげの新たな魅力発見に努め、世界中で愛される商品を提供する。創業創業メッセージ元祖坊っちゃん団子の味を、老若男女問わず多くのお客様に美味しいと喜んでいただけるように、提供し続けていきます。メッセージ15会員トピックス当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。明治16年創業明治15年創業「誠意ある物作り」「継続は力なり」をモットーにこれから、全国はもとより、世界に愛される日本の味を目指して日々精進してまいります。事業所概要代表者:所在地:TEL:相原 英二松山市道後湯之町14-23089-921-2227坊っちゃん団子の歴史をつなぐ老舗事業所概要代表者:所在地:TEL:程野 裕貴松山市高岡町285-1089-971-3233「松山あげ」を松山から世界へ・・・140周年140周年(株)程野商店(資)つぼや菓子舗

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