所報7月号
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 今月号の表紙絵は、星岡町にある星乃岡温泉。松山市の南にあり、古墳も多いことから、古からの歴史を持つ地域である。 星岡は、古戦場として知られている。鎌倉幕府が元寇の後、御家人の窮乏を救済しなかったことから、後醍醐天皇が、討幕の計画をすすめる。元弘の変(1331年)の後、幕府に不平を持つ武士が奮起し、伊予においても、後醍醐天皇の皇子、護良親王の令旨を受けて、土居氏、得能氏、忽那氏、大祝氏が兵を挙げた。1333年、長門探題の長官であった、北条時直が遠征軍を率いて、現在の今出か三津の付近といわれる、「水居津」に上陸し、要衝であった、星岡を占領した。その後、土居氏らの軍と激戦となり、北条時直の軍は、多数の死傷者と兵糧米を残して撤退し、自身も辛うじて逃げ帰ることとなった。この戦が、京都において喧伝され、 温泉沿いにある星岡山幕府関係者の心胆を寒からしめるとともに、北条氏の勢力回復が困難となり、幕府の滅亡につながった、と伝えられている。 こうした古戦場が背景にある星乃岡温泉。昔から、湯が自噴していたこともあり、温泉で流すと最高だ。昭和53年、大浴場を整備して、営業を開始した。今は、家族風呂や、千湯館と呼ばれる温泉施設も有する。入浴料は、大浴場が650円、千湯館が800円、家族風呂が2,900円〜。宿泊もできる。宴会場もあり、40名の定員まで利用できる。営業時間は、大浴場が5時半〜23時30分、千湯館が6時〜翌0時。家族風呂は24時間。千湯館の地下1,000mから湧き出す、泉温42度の源泉掛け流し風呂が好評だ。を、10分ほど登れば、古戦場の紹介と碑が設けられている。地方の合戦でありながら、鎌倉幕府の滅亡といった、大きく歴史を動かしたルーツを持つ山に登ってみては。その後は、かいた汗を星岡山にある碑19コラム第7回「星岡町1丁目 星乃岡温泉」「星岡町1丁目 星乃岡温泉」歴史を大きく動かした古戦場に湧く温泉

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