移り変わる経営環境と変わらない「技」伊予絣を紡ぎながら新たな事業を創造 金属加工業を営む(株)ムラコー。その歴史は、初代の村上清太郎氏が一番町にて村上板金店を創業したところから始まる。当時は、米を保存する米缶や、バケツなどの製造販売業を営んだ。昭和30年頃、他に先駆けてステンレスの販売を開始。その後、厨房製品、介護用品、トラベーターなど、幅広い金属製品を取扱い、事業を拡大した。宇宙関連事業にも着手し、平成期には種子島宇宙センターから発射された「イプシロン」や「はやぶさ2号」の部品製作に携わった。これらの作業はローテク技術が使用され、金属の厚みや曲がり具合の調整をミリ単位で行う職人技が高く評価された。 現在代表を務めるのは5代目の達哉氏。自ら営業、現場作業など、すべての業務に携わっている。現在は、半導体の製造や鋼製建具などの製造も行っている。現場の効率化を図るため、新たなシステムなどを導入してきたが、やはり最後は人の目で見て、手で触って、長さや厚みを測ることが必須であり、職人としての人材が必要不可欠だとか。達哉氏は「モノ作りは人づくり」をモットーに、人材育成に力を入れている。現在、新社屋建設を検討しているが、従業員がより働きやすい環境にしていくことを考えている。 創業当時から金物と向き合い、職人の技術を現在につないできた。これからも磨き上げた高い技術力で、新しい製品を産み出していく。 創業100年を迎えた白方興業。白方大三郎氏によって創業され、伊予絣の製造販売を担っていた白方機織所が前身である。大三郎氏は「全国を相手にする商売をしたい」という思いから、家業の大店でも扱いのあった伊予絣の製造を開始。伊予絣は安くて丈夫なことから人気を博した。その後、賃織りでの粗製濫造や、戦時の糸の配給統制などの影響も受け、伊予絣は衰退。これを受け、紡績事業やタオル製造などの事業を展開した。昭和45年、3代目の達郎氏が赤字続きだった紡績業を停止。代わりに、「民芸伊予かすり会館」を設立し、伊予絣の継承と、観光業への参入を図った。加えて松山サラヤを設立し、飲食業界にも進出するなど、新たな事業を展開した。 現在、代表を担うのは4代目の基進氏。浴場の経営や介護予防事業、高齢者向け専用住宅の開設など、人々の衣・食・住に関わる新たな事業を展開している。また、大街道にて新たにArtLaboKASURIをオープンし、観光客向けの藍染めや姫だるまの製作体験などを提供している。このほか、伊予絣の反物を買取り、保存・リメイクのために再利用するリサイクル事業も行っている。こうした、新しい事業に取り組むために、専門知識を持つ人材を積極的に迎え入れている。 伊予絣の継承と、人々の衣・食・住を支える事業を展開してきた白方興業。今後も伝統をつなぎながら、新たな事業展開に力を注いでいく。当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。15会員トピックス創業創業大正元年創業受け継いできた技術と、新技術を織り交ぜながら、時代に合わせた製品を提供していきます。大正12年創業100年目を迎えられました。次は、これからの100年の礎を築いていきたいです。事業所概要代表者:所在地:TEL:村上 達哉松山市中野町甲1083089-960-8877事業所概要代表者:所在地:TEL:白方 基進松山市久万ノ台1171-1089-922-0111メッセージ創業時からメッセージ時代を紡いで昭和36年 現代表の曾祖母(株)ムラコ―白方興業(株)110周年100周年
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