所報1月号
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 天 天守守閣閣」」お城を中心に発展したまつやま第1回 今号より、会議所報の表紙絵は、松山にある史跡やスポットを題材とします。本コラムは、表紙絵の題材をテーマに、松山の街の歴史や、これからのまちづくりの展望を考えていきます。 あらためて、松山のまちづくりは、人口減少により大きな転換期を迎えています。これまでは、人口が増加する中で、まちづくりを進めてきました。今後、全国的な人口減少とともに、2060年には、松山の人口も3割程度減少し、高齢化も進みます。これまでの考え方ではなく、長期的なトレンドを展望したうえで、持続可能なまちづくりへの取り組みが必要になっています。 さて、第1回は松山城です。これまで、松山の街は、松山城を中心としたコンパクトシティとして発展してきました。松山城は、標高132mの勝山に位置し、1595年に正木城主に封ぜられた加藤嘉明が、1602年から築城し、城下町を整備しました。天守閣は、1784年の落雷によって焼失しましたが、71年の月日を経て、再建されました。その後も焼失や戦時の空襲の影響を受けますが、その都度復建作業を行ってきました。現在は重要文化財となり、現存12天守などに登録されています。まさに、松山の街のシンボルともいえる天守閣です。 もう一つのお城がある松山総合公園から松山城を望むと、お城を中心に、中心市街地や道後温泉、JR松山駅などの拠点がコンパクトにまとまっていることが分かります。また、松山城から道路が郊外に伸び、これまでの松山の街の発展の歴史を見ることもできます。 お城を中心に、人口減少時代の松山のまちづくりがどうあるべきか。400年以上前に戻り、天守閣から松山の城下町をどのようにつくるか悩んだ城主の想いを、振り返る必要があるかもしれません。27コラム「「松松山山城城

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