所報2月号
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神代から続く愛媛・松山のまち 表紙絵をテーマに松山の史跡を巡り、歴史や、まちづくりについて考える本コラム。今月は、古くより「椿神社」や「お椿さん」の敬称で親しまれている伊豫豆比古命神社です。伊豫豆比古命と伊豫豆比売命、伊与主命と愛比売命の四柱を御祭神として祀っており、縁起開運、商売繁昌の神様として崇敬されています。また、伊豫豆比古命と伊豫豆比売命の二柱の神様が乗った舟をお迎えしたという伝説も残っており、かつて神社周辺は一面の海原だったようです。この時に着岸した舟山は、海底にしか見られない岩で形成されており、現在も境内で見ることができます。また、神社の周辺にも岩が埋まっており、家を建てる際に、岩を割ってしまうと、その家は繁栄しなくなるという言い伝えもあります。毎年旧正月の8日に開催される「椿まつり」は、松山の風物詩となっており、今年は2月16日から18日の間で開催されます。中日には、神輿が静寂の中で舁き出される、お忍びの渡御と呼ばれる神事も行われます。昔は、山の幸と海の幸の物々交換の市であり、情報交換をするなどコミュニケーションの場としても大切にされていました。 伊豫豆比古命神社では、愛比売命が祀られていますが、愛媛県の県名は、古事記の記述に、伊邪那岐の命と伊邪那美の命が国生みをしたとき、「伊予の国を愛比売といひ」とあり、この愛比売が「愛媛」に転化したとされています。都道府県名に神様の名前が使われているのは愛媛県だけです。あらためて、愛媛、そして松山のまちが神代から続いていることが分かります。当時は海原だった神社の周りは、松山の中で最も人口が多い地区になっています。今後、人口が減っていく時代に移る中で、まちづくりは、こうした歴史と変遷を大切にしながら、原点に返り、まちの機能を見直していくことが求められています。第2回19コラム「「伊伊豫豫豆豆比比古古命命神神社社」」

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