所報3月号
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第3回 表紙絵の題材となった松山のスポットを巡り、まちづくりを考える本コラム。第3回は、愛媛県の指定有形文化財、国の重要文化財に指定されている萬翠荘です。 萬翠荘は、市内の中心部で、松山城を冠する勝山の麓にあります。大久松定謨伯爵の別邸として建設されたもので、フランス風の洋館です。定謨伯爵は、小説「坂の上の雲」に登場する、秋山好古や、正岡子規の叔父で、松山市長を務めた加藤拓川と交流があり、定謨伯爵のフランス留学の際には好古、拓川が同行しました。このように、フランス生活が長かった定謨伯爵は、松山の邸宅としてフランス風洋館の設計を木子七郎に依頼しました。七郎は、現正11年に旧松山藩主の子孫である在の松山大学の立ち上げに貢献し、好古、拓川とも親交が深かった、松山市出身で、ニッタ株式会社の創業者である、新田長次郎の娘婿です。愛媛の地に縁があったことから、県内には愛媛県庁をはじめ、七郎が設計した建築物があり、現在も遺されています。 萬翠荘は県内で最も古い鉄筋コンクリート造りの建物です。かつては各界名士が集まる社交の場として利用されており、皇族が来県の際には必ず立ち寄られました。戦後は、アメリカ占領軍が接収し、米軍将校宿舎として利用された後、商工会議所が保有するなどの変遷を経て、現在は、松山を代表する観光スポットとなっています。 国際感覚を持った先人が、市内中心部に建設した萬翠荘。当時、訪れた人々は、松山のまちに、国際的な先進性を感じたのではないでしょうか。その歴史が、国際観光温泉文化都市と呼ばれる松山のまちの礎を築いたのかもしれません。人の想いと、シンボリックな建築物が、まちづくりの方向付けに重要であることが分かります。〝国際〞観光温泉文化都市まつやま19コラム「「萬萬翠翠荘荘」」

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