所報5月号
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当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。 松山の海の玄関であった三津浜で、一隻の帆船から廻船業を興した石崎汽船の創始者の庄兵衛。海事全般において非凡な才能を有し、またたく間に松山藩御用達の廻船問屋にまで事業を拡大。明治6年には時代の変化を見抜き、愛媛県で最初の旅客船事業にも乗り出した。県内の民間人では誰一人有していなかった蒸気船を旅客船として導入するなど、意欲的な経営を行った。 移りゆく時代の中で、会社の存続にかかわる危機は幾度となく訪れた。1988年、瀬戸大橋の開通によって主要航路の一つであった松山〜三原航路が廃止。1999年にはしまなみ海道の開通により松山〜尾道航路も廃止を余儀なくされた。近年では、燃料の高騰に加え、コロナ禍による利用客の大幅減も追い打ちをかけたが、海上航路を守り続けてきた。 現在は、伊予鉄グループの関連会社として運営されている石崎汽船。目まぐるしく変化する事業環境の中でも更なる飛躍を目指す。2025年秋には、松山と呉・広島を約1時間で結ぶ高速旅客船「リニアジェット」一隻を新造する。ゆとりを持たせた座席に加え、船体は静音性や低振動にも優れている。高速性能を備えつつ、従来の高速船から約3割の燃料消費を低減することで環境にも配慮する。 安全を第一の使命とし、海運業一筋で愚直に経営を続けてきた同社。これからも地域になくてはならない交通機関として海の航路を守り続けていくとともに、世界に誇る瀬戸内海の魅力をアピールしていく。 松山銘菓の一つ「薄墨羊羹」。松山の郷土史によると、明治7年に支店があったとの記述があり、江戸時代には創業していたと推測されている。一説によると、徳島藩主であった蜂須賀公にも献上していたという歴史もあるとか。戦中の空襲により資料が焼失したため、郷土史の記載をもとに、明治7年を創業年と定めている。「薄墨羊羹」は、桜羊羹という名で販売していたものが、薄墨桜羊羹となり、幕末頃に当代の中野喜十郎によって薄墨羊羹へと改称された。中に入っている白い豆を薄暮に舞う℡089-958-3355薄墨桜の花びらに見立てたことが名前の由来だ。現在は、原材料、製法にこだわった餡をもっと気軽に楽しんでもらえるようにとの思いから、「餡ファン」というスイーツブランドを住松山市井門町1331-1立ち上げ、一口サイズの羊羹「ウスズミキューブ」やどらやき、最中などの商品を展開している。 現代表の恵太氏は、製造部門に勤めていた際、お客様の美味しいという声にやりがいを感じたそう。常に同じ味を保つことは難しいが、いつ食べても美味しいと思ってもらえるような製品作りに努めている。代表就任後は、経営や社員の事も考える必要があり、悩むことも多いが、お客様に喜んでもらえるよう、また、社員がこの会社に入社してよかったと感じてもらえる経営を目指している。 現在、老舗洋菓子店ベティクロッカーズの事業を譲受し、洋菓子と和菓子を組み合わせた製品開発に取組んでいる。長い歴史を重ねてきた同社は、変わらない味を守るとともに、新たな取組にも挑戦する。メッセージメッセージ昭和期に活躍した水中翼船2025年秋 就航予定リニアジェット昭和28年に開店した本店代清水 一郎石崎グループは、安全を第一の使命とし、常にお客様の立場で考え、地域の発展に貢献する企業グループを目指して参ります。代中野 恵太お客様に喜んでいただけるように、この先も高品質なお菓子を作り続けて参ります。住松山市高浜5-2259-1℡089-951-0128創業文久2年創業創業明治7年創業15会員トピックス石崎汽船(株)(株)薄墨羊羹海上航路を守り瀬戸内をアピール変わらない味と新しい取り組みを融合160周年150周年ままつつややままのの老老舗舗

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