所報6月号
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表紙絵の題材となった松山の名所を巡り、歴史や、まちづくりについて考える本コラム。今回は市内中心部の正宗寺の中にある子規堂です。俳人の正岡子規が17歳まで過ごした邸宅を模して建てられた建物です。正岡子規は、花園町に生まれた後、肺結核を患って喀血を経験し、「ないて血を吐くほととぎす」という言葉から子規(ほととぎす)を雅号としました。俳句界に、伝統を踏まえつつ革新をもたらすも、34歳の若さでこの世を去りました。大正15年、柳原極堂の記憶に基づき、最初の子規堂が建てられました。以降、火災により二回焼失しており、現在の建物は、昭和21年に再建されたものです。子規堂の中には、子規の遺品や門下や友人から譲り受けた品を展示しています。また、玄関前には子規の遺髪が納められた埋髪塔も建てられています。子規堂の前には、子規にゆかりのあるものが数多く展示されています。その一つは、子規と親交があった夏目漱石が、小説の中で「マッチ箱のような汽車」と評した坊っちゃん列車の客車です。漱石の銅像も並んでいます。隣には、子規の野球に関する功績が碑に刻まれています。病弱なイメージのある正岡子規ですが、スポーツマンとしての一面もあり、野球草創期に選手として活躍するほか、技術や規則を訳述解説するなど、普及啓発にも尽力しました。こうした子規の取り組みは、愛媛が野球王国と呼ばれる原点であると考えられます。そして、子規が広めた野球文化の一つが野球拳です。愛媛川柳界の第一人者である前田伍健が創始者ですが、子規の遺した文化も影響しているのではないでしょうか。子規堂に展示されている坊っちゃん列車の説明は、野球拳の初代家元である富田狸通が文章を寄せています。こうしたルーツを持つ、松山の夏の恒例行事、野球拳おどりは、8月9日から3日間の開催です。ぜひ足をお運びください。正岡子規からつながる野球拳19コラム第6回「「子子規規堂堂」」

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