所報7月
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 海鮮問屋「古田新三郎商店」。創業者の古田新三郎氏は、睦月島で事業を開始し、煮干しやいりこ、ちりめん、花鰹などの水産物を取り扱った。新しいことに挑戦し、「本物の水産物」を松山の食卓に届けるために奔走した。昭和30年ごろ、他社に先駆けて塩干物の販売に着手。冷凍食品がなく、食べ物も不足していたため、商品が飛ぶように売れたという。先代の古田雅章前社長は仕入れ先の拡大に尽力し、三津に加え、大阪や岡山からの買い付けを開始。県外から仕入れた商品はあっという間に売り切れた。雅章前社長が開拓した仕入ルートは同社の強みとなっている。 今年3月、新社長に古田善亮氏が就任した。旧築地市場に勤めていた経験から、東京を中心に仕入れ先を広げた。量販店の出店や鮮魚店の減少、ライバルの攻勢などで競争環境は激化しているが、ドラッグストアなどの新たな受注を獲得し、時代に合わせた経営を進めている。 善亮氏は「水産物を売るのに最も重要なのは『人間力』」と話す。営業担当者の信頼や提案力が売上に直結するため、若手人材の採用と育成に力を入れている。例えば、有給休暇を柔軟に取得できるようにし、子どもの学校行事などに参加しやすくするほか、カフェやオープンスペースを設けた新社屋の建設に着手している。若い人が働きたくなる職場環境を整え、優秀な人材の確保を目指す。 時代のニーズをくみ取り、最先端を走り続けるための挑戦が今も続いている。 宮大工の父を持つ創業者湯山吉五郎氏が、明治16年に湊町にて創業。戦争で空襲の被害を受け、終戦後暫く経って柳井町へ移転、40年ほど前に現在の高砂町に移り事業を継続している。初代吉五郎氏は舞台幕を製作の際、地面に茣蓙を敷き幅広い布を広げ、頭に思い描いたイメージを壮大に描いた。現在五代目となった幸一氏は暖簾や祭りで使用する幟・法被・幕・旗を製作している。受け継いだ当初は、お客様が要望されるイメージを手作業でデザイン化する他、書家の方が書いた生きた文字を℡089-924-8153使用していた。その後、パソコンの急速な普及により製作工程は大きく変化している。このように、時代が変わる中でも、初代から受け継がれているものが、綿や麻などの天然素材を中心に製作を行うことのほか、煤と住松山市高砂町1-3-11柿渋を混ぜて作る染料を使うこと、そして、お客様にご満足いただける商品をお届けできるよう、手間暇をかけ決して妥協しないことだという。戦争による松山大空襲で一度すべてを失うなど、これまで時代とともにいくつもの転機期を迎えてきたが、先代からの意志を受け継ぎ、140年間、工場が守られてきた。 「今後も、今まで出逢った人やお世話になった人に感謝し、染物なら湯山と思っていただけるよう地域に根差した店づくりをしたい」と幸一氏は語る。そして、新しい商品の製作にも挑戦し精進するとの想いで事業に携わっている。長きにわたり受け継がれたものを大切にしつつ、新たなブランドも作り出すべくチャレンジを続けていく。当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。メッセージメッセージ15会員トピックス代古田 善亮海に囲まれた松山・三津の地より、これからも地域密着で水産物のおいしさを皆さまにお届けいたします。代湯山 幸一伝統の技術を活かし、新しい技術を取り入れ、お客様に喜ばれる仕事をしたいと思います。古田新三郎商店時代の伝票住松山市三津1-3-9℡089-952-1500創業明治16年創業創業明治16年創業人を大切にしながら挑戦を続ける老舗伝統の技術を受け継ぎ次代へとつなぐ(株)古新湯山染工場140周年140周年ままつつややままのの老老舗舗

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