所報7月
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 表紙絵の題材となった松山の名所を巡り、まちづくりについて考える本コラム。第7回は、松山のシンボルである道後温泉本館です。 道後温泉がいつの時代から湧き出でていたのか、神話や天皇・皇族の来湯の伝えが記されていることから、奈良期より前よりあったことは事実だと考えられています。日本書紀には、舒明天皇、斉明天皇の来浴が記載されており、大和朝廷との関係も深かったことも分かっています。道後という地名は、昔は広い地域の総称であったようです。近世に入ってから、今の地域に限定されたものと推測されています。 古代からの歴史を有する道後温泉ですが、表紙絵にある、道後温泉のシンボルともいえる建物は、神の湯が明治27年、又新殿・霊の湯は明治32年に竣工しました。明治期、道後温泉の発展に尽力したのは、道後湯之町初代町長の伊佐庭如矢翁です。温泉の改築計画には莫大な資金が必要だったため反対が大きかったものの、「100年先にも残る、他所には真似のできないものを遺すことで、子の代、孫の代、ひいては子々孫々の利益になる」と考え、計画を推し進めました。こうしてつくられた建物は、まさに、松山の宝として現代に受け継がれています。 コロナ禍で大きな打撃を被った道後地域は、これまでのまちづくりや観光振興などの取り組みが功を奏し、現在は、コロナ前を上回る観光客が訪れています。また、道後温泉誇れるまちづくり推進協議会は、「道後温泉2050ビジョン」を策定し、次代を見据えた取り組みを進めています。そして、道後温泉本館は、平成31年から行ってきた保存修理工事を終え、7月11日より全館営業を再開します。次代につなぐための工事が完了し、いつもの道後温泉の姿が戻ってきました。これからは、道後温泉を松山の宝として、次の世代へ渡していくことが求められています。古代から受け継いだ「道後」を次代へ19コラム第7回 「「道道後後温温泉泉本本館館」」

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