所報8月号
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 大正3年3月3日、花園町の一角に永江商事は誕生した。当初は油の販売事業を行っていたが、ゴムや糸などの手芸用品の卸・小売業を営む糸商の事業に転換した。事業が順調に大きくなっていった矢先、太平洋戦争の戦火に見舞われた。空襲により松山の中心部は焼け野原となり、三代目の数夫氏が兵役から帰還した時は、会社が焼失していた。 戦争の爪痕が残る中、喜与町で事業を再開。「堅実経営」をモットーとしながら高度経済成長とともに業容を拡大し、県内のほとんどの手芸店に商品を卸すなど、業界のトップにまで伸張した。しかしながら、昭和後期頃から全国規模の小売チェーン店が勢力を伸ばし、地方の手芸店は衰退。市場はピーク時の1割にまで落ち込んだ。同社も試行錯誤を繰り返したが、2017年、現在4代目となる永江弘喜氏は手芸用品の卸・小売部門撤退の決断を下した。モノを売る事業からノウハウを売るカルチャー部門を新設し、中四国で押し花やグラスアートなどのカルチャースクールを営む事業者を対象に、インストラクターを養成するセミナーを主催する。現在は6分野約800人のインストラクターを養成しており、彼らの技術力向上をサポートすることで、業界発展に貢献している。 弘喜氏は、先代から受け継いだ「堅実経営」の理念を大切にしながら、前進することと意欲を燃やしている。「時代に合わせた新規事業への挑戦に目を光らせる」と語るなど、既に、次代を見据えている。 「薄皮饅頭は餡子が命」と語るのは、今年110周年を迎えた萬国堂の代表の芳野俊一氏。萬国堂の名物、薄皮饅頭は、自家製のあんこがたっぷりと入り、優しい味が売り。小豆から丁寧に炊き上げる餡子は、手炊きで製造されており、昔から変わらない味を守り続けている。 創業者の金市氏は、萱町の菓子店での修業後、長崎県へ渡り、さらに修業を重ねた。その際、カステラなど洋菓子のレシピを習得し、創業当時から和菓子だけでなく洋菓子の製造・販売も行っていた。二代目の正文氏が後を継いだ際、アイスキャンディーの製造を開始した。俊一氏は経つ。菓子製造は長年培ってきた感覚で、その日の気温や湿度に合わせて行っている。店舗付近は、昔は商店住松山市和気町1-117-3℡089-978-0116街だったそうで、遠方からも多くの人が買い物に訪れていた。現在、残っている店は3店舗ほどで、風景が変わってしまったとのこと。 俊一氏は4年ほど前に体調を崩し、一度は店をたたむことも考えたという。しかし、体が動くうちは頑張りたいと奮起し、店を再開した。現在は、薄皮饅頭、とらまき、カステラをメインに、季節もので桜餅などを製造している。お客さんの「おいしかった」「また食べたい」という声や、遠方から足を運んでくれることが励みになり、毎日、頑張ることができているそうだ。 時代が移り変わり、街並みも変化する中で、昔から変わらない味を守り続けてきた萬国堂。これからも、老舗としての味を大切に、お客様に喜ばれるお菓子作りを続けていく。当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。代永江 弘喜今、花が咲いている。次の種は撒かれているか。代芳野 俊一これからもお客様を大切にし、感謝の心を持って、精一杯お菓子をつくり続けていきます。昭和4年頃の花園町の店舗住松山市喜与町1-5-418歳の時に店に入り、今年で60年が℡089-909-4040創業大正3年創業創業大正2年創業メッセージメッセージ15会員トピックス時代にあわせた事業に変革を続ける老舗名物「薄皮饅頭」を提供して110年永江商事(株)萬国堂110周年110周年ままつつややままのの老老舗舗

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