表紙絵の題材となった名所を巡り、歴史や、まちづくりについて考える本コラム。第8回は、明教館です。 明教館は、松山藩第11代藩主の松平定通によって設立された藩学です。その後、愛媛県松山中学校などの変遷を経て、現在は愛媛県立松山東高等学校のルーツとなっています。秋山真之、正岡子規が在学したほか、夏目漱石が英語教師として勤務していたなど、多くの偉人が関わった学校です。昭和12年に講堂のみ松山東高等学校の敷地内に移築・復元され、昭和た。併設する史料館には、真之と子規の成績表も展示されています。現在も、松山東高等学校の活動の場として活用されています。 松平定通が藩主であった時代の松山藩は、農村の疲弊が激しく、藩の借財も45万余俵に達していました。定通は、厳重な質素倹約を藩民全般に励行させるとともに、家臣の俸禄の引き下げや、祈祷料といった諸経費の削減を断行しています。こうした中で、藩士の教育を振興するため、明教館を創設しました。敷地は約2500坪に及び、厳しい財政の中で、大きな投資となりました。定通は、「近年は道も衰え、家中の風儀もおのずから遊惰に流れ、上下ともに礼譲に薄く、夫々の職分も十分に果たさず、大変に嘆かわしい。人倫の道に厚く、四民業に安んずべきであるのに、近頃は人道に背く行動が目立ち、慨嘆に堪えない。今は厳しく倹約を励行し、冗費を省いている時であるが、風儀の乱れにはかえ難いので、文武の稽古場を一か所に集めて、修行し易い施設を造りたい。」(松山市発行 松山の歴史より抜粋)と評しています。こうして設置された明教館が礎となり、松山に人材が集い、人材を育て、そして、人材を輩出し、国の発展に寄与しました。生が原作、同校をモデルとするアニメ映画「がんばっていきまっしょい」が公開されます。まさに、明教館に端を発し、現代にまで続く文化の継承です。ぜひご観覧ください。 10月25日、松山東高等学校の卒業藩政厳しい中でも教育に投資©がんばっていきまっしょい製作委員会第8回44年、県有形文化財に指定されまし19コラム「「明明教教館館」」
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