国鉄予讃線伊予小松駅の設置に合わせ、眞鍋文吉氏が駅前に創業した丸文食堂。創業当時は、和食中心の大衆食堂だった。3代目の行義氏は、「周桑で一番おいしくない食堂だ」という言葉を耳にし、大分県へ料理の修業に渡った。とり天やオムライスなどのレシピを持ち帰り、メニューは洋食メインとなった。4代目の明氏は、事業を継承するにあたり、フレンチ料理や経営などの勉強に奔走。しかし、地元西条でフレンチは受け入れられないのではと感じ、広島の有名店にてイタリア料理を習得。マルブンへ戻り、同店をイタリア料理店へと転身させた。その後、メニューに本格ピザを取り入れたピッツェリアマルブンを松山市内へオープンするなど、業容を拡大した。 現代表を務めるのは、明氏の息子の一成氏。コロナ禍の局面で家庭でもマルブンの味を提供できるオンラインショップを開設した。企業内のDXにも取り組み、各店舗の集客具合の共有や、在庫の予測などが行える仕組みを導入。また、非接触で注文可能なモバイルオーダーをいち早く導入し、お客さんが安心して外食できる環境づくりに努めた。また、人材育成にも注力する。メニューや接客などに関する裁量は各店舗にある。自分で考え、決定し、お客さんからの評価を受けることがやりがいにつながると考え、社員が能動的に働ける環境づくりに努める。 食べる人・提供する人、双方の幸せを目標に事業を展開してきた同社。今後も、「幸せな食卓」を提供し続ける。 刃を研ぎ続け、「切れ味」を追求してきた秋津研磨所が創業90周年を迎えた。昭和8年、初代秋津禮美氏が松山市萱町で創業。まちの研ぎ屋として、鉋(かんな)や鑿(のみ)などの工具や、裁断機の刃などを研いでいた。作業の多くが手作業で、砥石と職人の技術力がその刃の切れ味を決めていたそうだ。 昭和30年後半から、企業用刃物の受注が増加し、研磨する刃も打ち刃物から超硬合金へと変化した。こうした変化に対応するため、作業の機械化を進める中で、ただ導入するだけでなく、生産性を高めることに注力した。また、切れ味を決めるのは職人の「感覚」であることから、手作業で培ってきた技術を機械作業に活かしてきた。 現在経営を担う3代目の亮介氏は、先代からの要望もあり、2020住松山市空港通2-13-36℡089-973-3424就任した。営業を一切行わず、丁寧な年に地元に戻り、翌年、代表取締役に仕事を安価で請け負う経営を一新し、新規顧客の開拓とともに、お客様の声を職人に届ける役目を担った。また、研磨事業だけでなく新刃製造にも取り組み、顧客の囲い込みや海外顧客の獲得にも成功した。亮介氏は、こうした経営ができたのは、先代が培った技術への絶対の自信があったからだと語る。昨今の物価高騰などの課題に対しても、品質第一の考えは変えず、価格にも反映し、顧客との良好な関係を維持している。 今後も時代の変化に対応しつつ、削り節専用超硬鉋刃と繊維切断用超硬刃、その他の産業機械用刃物の3本の矢となる事業を確立し、創業から磨き続けた「技術力」でお客様に安心感を与え続け、100年に向けて歩を進めていく。当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。代眞鍋 一成これまでもこれからもおいしいが響きあうマルブンでありたいと願います。代秋津 亮介時代の変化に対応する柔軟性と技術力と感謝の気持ちで社員一同がべクトルを合わせることが会社の発展で大事だと思っています。住松山市南高井町1370-1℡0898-76-3481創業大正12年創業創業昭和8年創業15会員トピックスメッセージメッセージお客様に「幸せな食卓」を提供する長い年月をかけて磨いた技術と信頼(株)マルブン(有)秋津研磨所100周年90 周年ままつつややままのの老老舗舗
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