表紙絵の題材となった松山の名所を巡り、歴史や、まちづくりについて考える本コラム。今回は、梅津寺にある秋山好古・真之兄弟の銅像です。 梅津寺は、宝永(1704ー11)の頃に、この地が中国の梅津に似ていることから、海浜に新寺院が創設され、寺名となり、そして地名になったと伝えられています。以前は海水浴場として親しまれたほか、遊園地、梅津寺パークも整備されるなど、松山市民のレジャーの場所として愛されてきました。残念ながら、今は、海水浴場も梅津寺パークも閉鎖されており、公園やサッカー場などが設置されています。 この梅津寺に、秋山好古、真之兄弟の銅像が建立されています。ご承知の通り、秋山兄弟は明治期に活躍した軍人です。小説「坂の上の雲」では、俳人・正岡子規とともに主人公として登場しています。秋山兄弟を敬称する像は、戦前、先月号で紹介した道後公園にありましたが、様々な変遷を経て、現在の場所に移ってきました。梅津寺に設置されている好古像は、日露戦争の主戦場であった満州方面を、真之像は、日本海海戦が行われた対馬海峡方面を向いて設置されています。 また、梅津寺公園には坊っちゃん列車が展示されています。この坊っちゃん列車は、秋山兄弟が活躍した時代に、当会議所の初代会頭である小林信近翁の尽力により敷設されたもので、松山から梅津寺近くの三津間を走っていました。明治期は、東京は三津浜港から船で向かっていました。秋山兄弟も坊っちゃん列車にのって、三津浜港に移動し、そして船に乗り、梅津寺の海浜の前を通って、東京に向かったことがあるのではないかと想像できます。 現在、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が再放送されています。明治期に、今の日本を礎を築いた偉人に想いを馳せ、東京と松山をつないだ交通を、まちづくりの観点から考えてみるのも意義がありそうです。大志を抱き東京へ旅立つ路 第10回19コラム「「梅梅津津寺寺見見晴晴山山秋秋山山好好古古・・真真之之兄兄弟弟銅銅像像」」
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