表紙絵の題材となった松山の名所を巡り、歴史や、まちづくりについて考える本コラム。最終回は、9月から新駅舎が開業したJR松山駅です。 松山で国鉄の駅が開業されたのは、1927年です。当時、県庁所在地で省線がなかったのは松山市のみとなっており、全国から見ると遅い開業になります。その駅舎は、1945年、空襲により焼失してしまいます。戦後、松山で産業復興博覧会などが開催され、松山駅も活況を呈す中、国民体育大会が松山を主会場にすることを契機に松山駅の新築工事が行われ、1953が竣工しました。その後、2000年には、松年9月に2代目の駅舎山駅舎正面に三角屋根のペディメントが増設されて現在の姿となり、多くの市民や来松者に愛されてきました。 2024年9月、高架線工事が完了し、新しい松山駅が開業しました。また、高架下には、商業エリアも新設されました。新しい駅には、QRに対応した新型の自動改札機が四国で初めて導入されたほか、バリアフリーに配慮した設備となっています。昭和レトロな雰囲気から一転、新しい令和時代の駅に生まれ変わりました。 今後は、旧駅舎の解体工事などが始まります。駅舎だけではなく、JR松山駅周辺が、松山のまちの「顔」として、整備されていくことが、大きく期待されています。 一年間、本コラムでは、松山市の名所となる表紙絵をテーマに、その歴史やまちづくりについて考えてきました。あらためて、松山市は、日本でも有数の歴史や文化資源を有しており、それをもとに、まちが形成されてきたことが分かりました。 現下、少子高齢化と人口減少という大きなトレンドが、私たちのまちを取り巻いています。これまでの人口増加や経済成長の視点ではまちづくりが難しくなっており、次代を見据えた取り組みが必要になっています。このため、当会議所では、30年後のまちづくりに関するビジョンをとりまとめています。歴史や文化、そして、先人の知見を活かしながら、さまざまな社会課題を乗り越え、「豊かな」松山を描きたいと思います。次代を見据えたまちづくり第11回19コラム「「南南江江戸戸一一丁丁目目 高高架架化化ししたたJJRR松松山山駅駅」」
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