所報2月号
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 宮大工を生業としていた創業者の小倉悌太郎氏。修繕に関わった、長谷寺での葬儀に感銘を受けたことがきっかけで松山へ戻り、身寄りのない故人を弔うため、リヤカーで寺院まで運ぶなどの無償の活動を始めた。悌太郎氏は、お金にならないことでも率先して引き受けたが、「ご奉仕の心」は、後に事業を立ち上げてからも、基本精神として大切にしてきた。 昭和55年、現会長の以砂夫氏が株式会社小倉葬祭社を設立。当時業界トップクラスだった京都の葬儀社と提携し、地方特有の葬儀社の慣習を刷新した。松山の葬儀業界のイメージ向上に尽力するとともに、平成の時代に入り、多くの参列者を迎える葬儀が主流となる中で、市内に3つの会館を開設。ニーズに対応できる体制を整えるなど、常に主流の葬儀に適応してきた。 現在、経営の舵を担うのは、3代目住松山市錦町6-3「ご奉仕の心」に触れてきた。平成30の早織氏。幼少期から家業を支え、年にはARUGOセレモニーホールの新設と本社の移転を指揮した。ともに葬祭会館には珍しい洗練されたデザインが特徴で、お客様のニーズに合わせたセレモニーが行えることが魅力となっている。 早織氏は、コロナ禍を経て新しい葬儀スタイルが広がりつつある中、慣習にとらわれない次世代の葬儀を模索している。「同じ葬儀は二度とこない。常に高い緊張感と、見返りを求めない心をもって、お客様にどこまで寄り添えるかを大切にしていきたい」と語る。今後は、地域への感謝を形にすべく、葬儀業にとどまらない多様な貢献の方策を目指すことを掲げている。 創業者から受け継いだ精神をもとに、次の100年へ向け、新たな挑戦を続けていく。 昭和18年、水木儀三郎が、水木洋服店を創業。当時、柳井町には洋服の仕立て屋が多く、同社も職人を抱え、オーダーメイドスーツ販売を手掛けていた。昭和30年に法人成、業容を拡大したが、大型店の進出と既製品の普及により、洋服店としての商売を続けることが難しくなった。 2代目の章氏は、同社で働きながら、趣味であるテニスに没頭し、市内の大型テニスクラブでコーチを務めていた。このクラブでテニス用品を取り扱い始めたことが事業転換のきっかけとなった。洋服店の一角をテニス℡089-921-7744ショップとして改装して販売を開始した。その後の、テニスブームの追い風を受けて、売り場を徐々に拡大した。平成5年に代表に就任するタイミングでテニス用品専門店へと業態を変更した。 現在の経営を担うのは、3代目の慎住松山市柳井町3-4-3により、経営環境が大きく変化する中、氏。少子化やスマートフォンの普及など専門店としての強みを活かしながら、新たな取り組みに着手している。「専門店は、引き算が重要。商品の絞り込みで一品の価値を高め、専門性を維持することを心掛けているが、時代や顧客のニーズに応じた足し算とのバランスも重要」と語る。コロナ禍には、店舗の建て替えを行い、商品レイアウトの大幅な変更に加え、カフェも併設。SNSを活用した情報発信に注力し、これからテニスを始める方を含めて、新規顧客の開拓に積極的に取り組んでいる。 事業の内容を変化させながらも、創業当初から地域の専門店として歩みを続けてきたテニスショップミズキは、時代の変化に対応しつつ、今後も次代に向けてのチャレンジを続けていく。当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。メッセージメッセージ17会員トピックス代小倉 早織感謝、おもいやり、謙虚な心をもって、地域の皆さまに貢献していきます。代水木 慎少しでも地元のテニスプレーヤーのお役に立てれば光栄です。℡089-933-3008創業昭和18年創業創業昭和18年創業1992年頃の様子コロナ禍に建て替えた新店舗ご奉仕の心で地域の人を葬送する商品は変われど地域密着専門店をつなぐ (株)小倉葬祭社(有)テニスショップミズキ80 周年80 周年ままつつややままのの老老舗舗

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