1943年、大森薫五郎氏が勝山町に花森商店を創業。薫五郎氏は、いけばな教室を経営しており、自分の教室や知り合いの教室で使う花を取り扱っていた。その後、戦後からバブルの頃まで、いけばなは、女性の花嫁修業の一つとして盛り上がりをみせた。終業後、女性社員に対していけばな教室を行っていた企業も多くあるなど、花屋にとっても景気の良い時代だったとか。 現在、代表を務めるのは三代目の友之氏。品質の良いものを仕入れ、新鮮な物を提供することを大切にして、日々、花の販売を行っている。今きれいな花でも、お客様の元へ届く時にどのような状態になっているかを見極め、店頭に出している。また、創業時から変わらず、提供する商品に対して、一切の妥協を許さないことを商売の信念にしている。住松山市星岡1-14-23葬祭や、式典といった全てのイベン コロナ禍では、花を使用する冠婚トが行われなくなり、花の需要は激減したが、二代目の勝喜氏が築き上げた人脈や、これまでの信頼が経営を助けた。また、2022年12月から、小さな子供向けに季節の生花と撮影する「セルフフォトスタジオ樹花(このか)」をオープン。小さいころから花に触れることで、生き物を大切にする気持ちや優しい心を育み、家族の思い出とともに子どもたちが、花を身近に感じるきっかけになればと願っている。 コロナ禍以降、花を取り巻く生活スタイルも様々な変化を遂げている。その中でも、時代の潮目を読みながら、柔軟に新たな挑戦を続けている。先代から受け継いだ『人を大切にする気持ち』を忘れず、花によってお客様が笑顔になれる生花店を守り続けていく。 昭和28年、矢野春義氏が中村町にて鮮魚商を始める。創業時は顧客が少なく、自転車で1軒1軒家庭を訪問して魚を販売する地道な商いを行っていた。昭和33年に現在の松前町に移転、鮮魚販売と併せて新たに寿司屋を開店した。 現在、経営を担う2代目の勝則氏は、東京や大阪の料亭での修行を経て松山へ戻り、昭和56年に事業を継承するとともに、一品料理矢野を新たにオープンした。当時、割烹といえば高価なイメージがあったため、近隣に焼鳥をはじめとする飲食店を展開するな℡089-931-6346ど、地元密着型の経営で顧客を増やしていった。昭和56年に店舗を改装したことを機会に、屋号を割烹矢野に変更した。 昨今の急激な物価高騰などにより経営環境は厳しい。そうした中でも、得意様のご理解による価格転嫁や、お弁当住松山市松前町2-5-8加などにより商いを維持できている。を作る家庭の減少による弁当発注の増また、多くのスポーツ選手や著名人のほか、ブログなどの書き込みにより多くの外国人観光客も訪れている。勝則氏は、「どんなときも、毎日、その日仕入れた鮮魚のみを生食に使い、残った部位も余すことなく弁当や焼き物、揚げ物に使うことを職人として大事にしている」と語る。現在は家族で経営を行っており、家族を第一に考えながら、今後は家族が近くに居ながら、やりたいことができる環境を整えて、次の世代に受け継ぐことが夢だと語った。 飲食店は人が集まり、人とつながることができる場所、そして幸せを循環させる場所だと捉える。 今後も、矢野は、時代の変化に対応しつつ、根幹を揺るがすことなく、創業100年を目指し進んでいく。当会議所会員創業記念表彰を受賞された会員のみなさんをご紹介します。メッセージメッセージ17会員トピックス1979年頃の様子代大森 友之様々な想いを綺麗な花とともにお届けすることにより、この世の中が少しでも平和になればと願っております。代矢野 勝則食べることが明日につながる。美味しいものを食べたいときはいつでもお越しください。℡089-958-8787創業昭和18年創業創業昭和28年創業人々に心のこもった花を添える老舗人が集まり、人がつながる、飲食店(株)花森割烹矢野80 周年70 周年ままつつややままのの老老舗舗
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