所報3月号
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魂く響に経営コラムこの書はフェルメールの絵のようにどこから見ても放射線になっている。まるで悟りで得た「無」の境地が具現化された様だ。トレンド通信 和歌山県南部、紀伊半島の熊野地方。熊野本宮大社を中心とした熊野三山を結ぶ山中の参詣道が熊野古道です。2004年にユネスコの世界遺産に登録されたことをきっかけに、海外向けの情報発信を強化しました。その結果、今では主に欧州からの旅行客が数多く訪れるようになりました。熊野古道の入り口に当たる紀伊田辺駅の売店や商店街のお店にも、リュックサックを背負ったトレッキングスタイルの外国人が毎日のように訪れています。 熊野古道は、外国人訪日客を誘致するためのプロモーションの代表的な成功事例として知られています。その戦略の中核を担った「田辺市熊野ツーリズムビューロー」の多田稔子会長にお話を伺いました。それまで地元の住民にとっては「ただの山道」に過ぎなかった熊野古道が世界遺産として注目されたことを「これは100年に一度のチャンス」と捉えたそうです。地域のさまざまな受け入れ側の体制整備や英語での海外向け情報発信など、持続的な活動が実を結んだ結果、今のにぎわいにつながっています。 熊野古道は、深い森の中を縫うような細い杣道(そまみち)が何十kmも続くため、全部を歩いて回ろうとすると途中で何カ所か宿泊が必要となります。今では熊野古道に沿った山中にゲストハウスが数多くつくられています。これまで、熊野古道を訪ねる外国人は欧州からの客が多数を占めていましたが、コロナ禍が明けてからはアジア(台湾やシンガポールなど)から訪れる人が増えたといいます。その分の人数が上乗せになった形で、ゲストハウスはいつも満杯となり、京都ほどではないにせよオーバーツーリズムが懸念されるようになってきたそうです。 熊野古道は、もともと京都の白河、鳥羽、後白河、後鳥羽上皇などが、京都からわざわざ何度も熊野を訪ねたことで整備され、世に知られるようになったものです。紀伊半島の山中に入るまでは海岸沿いをずっと南下して進んでいたため、大阪から和歌山県南部に至る途中にも史跡やストーリーのあるスポットがたくさんあります。こうした道中を経て、口熊野(くちくまの)と呼ばれる田辺市までたどり着き、そこで海に入って身を清めてから、山中へ至る道へ向かいました。この海中で身を清めることを潮垢離(しおごり)といったそうです。 多田さんは、山の中のゲストハウスが満杯になってきたことを受けて、「もっと海岸沿いの熊野古道の良さや、田辺湾での潮垢離なども観光体験としてアピールしていきたい」と言います。海岸沿いのルートは、気候温暖な土地柄もあって冬でも楽しめる上、山中よりも道に迷うといった危険も少ないという運営上のメリットがあります。 インバウンド客があふれる地域がある一方で、なかなかうまく呼べない地域もあります。やはり地域の新たな魅力を自ら発掘して、発信し続けるのが王道なのだと感じました。 日経BP総合研究所 上席研究員。1986年筑波大学大学院理工学研究科修士課程修了。同年日本経済新聞社入社。IT分野、経営分野、コンシューマ分野の専門誌編集部を経て現職。全国の自治体・商工会議所などで地域活性化や名産品開発のコンサルティング、講演を実施。消費者起点をテーマにヒット商品育成を支援している。著書に『地方発ヒットを生む 逆算発想のものづくり』(日経BP社)。No.20「『第熊二野段古階道に』の入イっンたバ世ウ界ン遺ド産戦略」5歳のときに書家である母・泰子に師事し書を始めた。世界的に活躍する日本を代表する書家の一人。ダウン症の書家としても広く知られており、国内の神社仏閣や美術館のほか、ニューヨークやロンドンをはじめとする世界各地で個展や公演を開催している。バチカン市国に大作『祈』の寄贈、NHK大河ドラマ『平清盛』の題字、東京オリンピック公式アートポスターの制作、上皇御製(天皇御在位中)の謹書を担当。2013年には紺綬褒章を受章した。■公式ホームページ  https://k-shoko.org/■Instagram      https://www.instagram.com/shoko.kanazawa/書道家金澤 翔子かなざわ・しょうこ上席研究員渡辺 和博わたなべかずひろコラム18日経BP総合研究所

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